WinterHawkウィンターホークの名前の由来は?(1)

今日のテーマはWinterHawkウィンターホークの「WinterHawk」という名前の由来は?シリーズ(1)です。LawrenceLoloちゃんも横にいて、一緒にWinterHawkウィンターホークの名前由来話を興味深げに相槌を打ちながら聴いていました。

日本語だと「冬の鷹」という意味のこの名前、彼のCherokee Nameなのです。WinterHawkウィンターホークのお母さんはCherokeeチェロキー族の血が半分流れているので、彼は自分に流れるこのもう一つのルーツを知りたいと思い、NYにあるNative AmericanのCherokeeチェロキー族の集まりを訪ね、真剣にCherokeeチェロキーの言葉も習っていた時期がありました。そのセレモニーに参加した時に授けてもらった名前が「TOWODI GOLA」。そう、チェロキー語の名前なの。TOWODI が鷹、GOLAが冬の意。発音は独特で文字では伝えきれないんだけど、強いて書くと「トゥオディ グオラ」。トゥオディのオとデの間にhの音も混ざっているように聞こえる。何回も彼に発音して貰ってリピートアフターミーしましたが、耳も口も頭も慣れていないのでちょっと難しかった。この名前、アメリカの友人知人達も発音に馴染みがなくて皆言えず、覚えられずだったので、その名前を英語に直して使うようにしたんだって。Cherokeeも本当の発音は日本語の「チェ」ではないみたい。

「African Americanアフリカンアメリカン(アメリカの黒人)の中には、Native American(American Indian)の血が入っている人がけっこう多いんだよね。」って一緒に話を聞いていたLawrenceLoloちゃんが横から言いました。かくいうLawrenceLoloちゃんも、Native American(American Indian)の血が入っているとのこと。「えー、そうだったの?」付き合いの長いMariTAMTAMまりだけど初めてそのことを知りました。そういえば、どことなく身近に感じる顔立ちの黒人の有名人知人友人がいるのはそのせいだったのかしらん?改めてLawrenceLoloちゃんとWinterHawkウィンターホークの顔を前から横からてっぺんから後ろからとまじまじと見てしまった。「でしょ?」と言う2人。この古い2枚の写真はどこの部族かわからないけれど古いNative American(American Indian)の人の肖像です。思慮深く知的で慈愛に満ちた顔ですね。日本にも似た感じの顔の人、いるよね?

若き日のWinterHawkウィンターホークはある日、親の了承を得て自分のルーツ、チェロキーCherokeeの住む地へひとり旅に出ました。本当なら飛行機で行く距離のところ、お金もなかったので長距離バスを乗り継いでの旅。なんと!27時間、バスに揺られてアメリカを縦断したのです!当時の長距離バスの切符は茶封筒くらいの大きさ。だけどいくつもいくつも乗り継いで行くので、受け取ったチケットはどこまでも長く何枚も繋がって出てきて、ちょうど今日の楽屋にある会議室のテーブルいっぱいくらいになり、”Wow!”目が丸くなったそうです。

彼が選んだ旅行のルートは、Cherokeeの歩んだ歴史と深く関係があるので、先にちょっとチェロキー族の事を紹介しますね?ざっくりとだけ書くので、より詳しい事は調べてね。調べていくと色々な悲しい歴史があり、MariTAMTAMまりも調べていて、人間ってどうしてこういうことを繰り返してしまうんだろう、、、とため息と涙が出ました。

 

Native American(American Indian)..欧州人勢力がヨーロッパから押し寄せ攻めこんで来る以前からアメリカに住み暮していた先住民族の人々を、今では当たり前にこう呼びます。そこにはサモア人、ミクロネシア人、イヌイット、ハワイ人も含まれます。今回テーマの人達は中でもAmerican Indianです..昔は俗にインディアンと呼ばれていたましたが(アメリカ大陸に最初に来た欧州人がそこをインドと勘違いしてIndianと呼んだとの事)、今は間違いが正されました。なんだか、勘違いしたのを知っていながらそままずうっと欧州目線でインディアンって呼んでいたなんて失礼なカンジ。リスペクトが足りない。でも自分も知らずとは言え、欧州目線の知識に学んで何の疑問もなくインディアンって呼んでいたから、ちょっと恥ずかしい。随分昔にNative American(American Indian)のアーティストと関わったのがキッカケで、彼らに正されて初めて知りました。(このエピソードはまた今度ね)

チェロキー族は沢山ある部族の中のひとつの部族で北米大陸南東部に多く居住し、独特の高度な文化と社会制度を持ち平和に暮らしていました。やがて入り込んできた侵略者の欧州系白人達とも知性での交渉を頑張り続けていましたが、1830年にアメリカ合衆国で「インディアンたちを強制移住させるための法律」が成立します。身勝手な為政者と称する人達が一方的に決めた法律です。チェロキーはこの法律の最大の被害者と言われています。18世紀にチェロキーの土地で金脈が発見されたのをキッカケに、欲にかられた白人勢力が双方で交わしたはずの契約を一方的に破って土地を強奪し彼らを強制的に移住させる武力行使に出ました。先祖代々の大切な土地なのにです。彼らはそれに抵抗して壮絶な戦いを繰り広げました。しかし抵抗も虚しく最後は他の部族同様に制圧され、先祖代々住み続けた地を追われて、はるか西にある現在のオクラホマ州の居留地への移住を強いられたのです。MAPは涙の旅路のルート。

この1838年の強制移住では、歩くのもおぼつかないお年寄りから乳飲み子を含む、およそ15,000人の老若男女のチェロキー達が、着の身着のまま、食べ物もろくに与えられず、1,700キロも西にむかって軍に銃を突き付けられながら強制的に追い立てられ、歩き続けたという悲惨な歴史があります。(その軍の将軍の中にも、彼らをリスペクトしていた人もいて、少しでも待遇や行軍の日程を楽にするよう政府に交渉したという記録もあるので、ちょっと救いです。)その15,000人の内の約4,000人が旅の途上で病等で亡くなったと言われています。(正確な数字は不明でもっと多かったとも)してこの強制移住の時にたどった悲劇の旅路は、今では英語で「”The Trail of Tears” =涙の旅路 長さは2,200マイル (3,540 km)」と呼ばれていますが、実際のチェロキーの言葉では「”Nunna daul Tsuny”」と言い、翻訳すると「ひとびとが声を上げて泣いた路」という意味だそうです。

さて、旅のルートは「祖先達の生まれ育った地から、「”Nunna daul Tsuny”」=涙の旅路を辿って現在住む居留地へ」と決めたWinterHawkウィンターホーク。いよいよ初めての遠方へのバスのひとり旅。チェロキーの人達の住む地に行ける、人々に会える、、、、、長い長~~いバスのチケットを折りたたんで握りしめた、まだ青年になったばかりの彼の胸は、期待と緊張と興奮と、ちょっぴりの不安とで、高鳴っていたことでしょう。ヘッドアクセサリーをかぶって超ご機嫌のWinterHawkウィンターホークの写真デス。

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