セネガルのBOGA=ボガちゃんはチョット変わってる?(2)

日本人のMariTAMTAMにとっては、未だに不思議で謎めいた存在である西アフリカの「グリオ」=伝承音楽家。現代では、一般的に音楽や芸術で生活していける人の数は限られているし、ずうっと稼ぎ続けらる保障もない場合がほとんどでしょう?王国時代に活躍したグリオは、現代の社会システムや考え方の中で生きていけるのだろうか?って、とても気になってしまいます。だいたい、ヨーロッパでもどこでも、芸術家や音楽家は、王族貴族、お金持ちのパトロンがいないと生活が成り立たない社会システムだったと、クラシック音楽の歴史でも習ったし。。。

ともあれ、ボガちゃんは、恵まれた音楽環境と恵まれた音楽遺伝子の中で、のびのびと音楽と共に育っていったことに間違いありません。

当時は多くのグリオ達は、音楽に専念し音楽だけを学ぶことが多かった時代。ここで、ボガちゃんのユニークさが見えてきます。ボガちゃんのお母さんは、実は一般人(音楽家ではない普通の仕事をしている男性)と結婚したのです。(お母さんとお父さんのロマンスはまだきいていませんが、いつか、ボガちゃんが話してくれたらきいてみたいな~)

 

 

お母さんは、自分の考えを持っている人でした。ボガちゃんには、音楽だけでなく、一般の子どもたちが受けるのと同じ教育を受けさせたいと強く願っていました。なぜそう思ったのかは、お母さんにしかわかりませんが、グリオ名家の子女が、そう思ったのでした。 そのためには、一族の住むメディナから遠く離れた学校に通わせなければなりません。そうしないと、「Sing Sing」のDNAを持つ後継ぎの一人として、音楽に専念する以外の道は許して貰えないからです。

お母さんは、思いきった作戦を立てました。ボガちゃんを旦那様(夫;ボガちゃんのお父さん)の実家のお祖父さん家族のところに預けたのです。メディナから250kmは離れた街だったので、サバールの有名グリオ「Sing Sing」一族から離れることが出来ます。ボガちゃんは6歳くらいの時に、お母さんの元を離れて、お祖父さんの家に住むことになりました。まだ、お母さんが恋しい年頃なのに、思い切ったことをするお母さんだなぁ~~~。息子の成長を願うお母さんの強い愛を感じます。

というわけで、少年ボガちゃんは、ある日、友達からも家族からも離れて、1人、お祖父さん一家の住む遠い街に向かったのでした。。。。。

 

 

ボガちゃんのデザイン制作Tシャツを着たみなさんの写真です。前回載せた太鼓と同じデザイン♡