片山九郎右衛門「藤戸」を初体験(5)宝生能楽堂の歴史

銕仙会の定期公演、片山九郎右衛門「藤戸」初体験シリーズの最終回は、再び、宝生能楽堂のロビーに飾ってあった写真や銅像で~す。最後の演目「国栖」では、うたの歌詞?というのか台詞?というのか、何やら筆文字が書いてある横に長い冊子を開いて、追いながら鑑賞している人がけっこういました。お能を勉強している方々なのかしらん?慣れているお客さんが多いのかな、、、終わるとあっという間に帰ってしまい、ロビーはトイレの出入り口に人がいるだけで、あとはがらんとしてしまいました。

なので、お能のシーンの写真は全部パチリパチリと急いで撮り直し!(^^)宝生能楽堂の写真もあったのでパチリ☆年代が書いていない方の右手の写真が現能楽堂の写真です。

歴史について書いてあるパネルはこちら。クリックすると少し大きくなるから読めると思います。簡単な歴史を宝生会の公式HPから抜粋しました。”最初の宝生能楽堂は大正2年(1913年)、神田猿楽町に創建され、当時、東京随一といわれた絢爛な舞台でした。大正12年(1923年)に起きた関東大震災で焼失。その後大正13年(1924年)に、現在の宝生能楽堂の地となる松平頼寿伯旧邸跡地が提供され、昭和3年(1928年)に「宝生会館能楽堂」が完成(最初のモノクロ写真)。ところが、昭和20年(1945年)の第二次世界大戦時の東京大空襲で焼失。戦後の昭和25年(1950年)、全国の流友から流債を募り、宗家父子、全職分が協力して、「水道橋能楽堂」と呼ばれた舞台が再建を果たす。現在の宝生能楽堂は、昭和53年(1978年)に完成。宝生流の中心拠点として役割を果たすほか、他流の催しにも活用され、広く能楽の普及・発展への活動の場となっている。”

歴史と共に歩んできたのがわかりました。

 

最後にロビー奥に並んでいた宗家の銅像を紹介します。

 

 

銅像たちの後にある紫に浮かぶ五つの金色の雲にも意味があるそうです。読んでいたら、売店の人も片付けおわって店じまい、ほとんど人がいなくなったので、急いで外に出ました。外は寒いくらい。ちょっと浮世離れした空間を旅した気分。でも水道橋の駅のホームは野球観戦した人達でいっぱいで、Marichiiはいっぺんにいつもの現実世界に戻りましたとさ。