


さくらの季節に読みたくなる宝物のエッセイは・・・



ことしはラッキーなことにけっこう桜に会いに行ける時間がいっぱいありマッスル。何年か続けて仕事に追われてお花見出来なかったこともあったので、心からうれしいでするるるん
(いや、仕事に追われないのも困るんだけどどど~
)だって、毎年一回、この時期だけに会えるさくら、100歳まで毎年見たとしても100回だけでしょ?しっかり楽しまない年があるなんて超もったいないもん
絶対ぜったい、ちょっとでもいいからお花を楽しんでね?!
Mariはこのさくらの季節、かならず思い出して読み返すエッセイがあるの。Blogでも毎年お話しているので「あ、また話してるゥ~」って思う人も多いと思うけど、やっぱりみんなにもさくらの見ながら思い出して欲しいから、今年も紹介しちゃいまーす。中学生のみんなは教科書で読んだばっかりかな?(´∀`*)ウフフ
大岡信さんの言葉の力でっするん
桜染めでも有名な染色家の人間国宝、志村ふくみさんとの出会いを書いたごくごく短いエッセイです。志村ふくみさんが書かれた文章にも心に触れるものがあるけれど、言葉や歌詞、音楽で表現して伝えたいと思っている自分にとって、このエッセイは宝物です。何回かに分けて紹介したいと思うけど、検索したらすぐ見つかるので自分でみつけて読んでね?
きょうのストールは、実は志村ふくみさんと桜染めのことを偶然TV番組で見て感動した時に探したら、これまた彼女の染めではないけれど(当然貴重品でとても高価で手が届かにゃい
)偶然、若手の作家のブランドで売っているのを見つけて買ったものなのニャ~超お気に入りで家で眺めてるだけだったけど、ついに今年から使うことにしました。
<人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。 ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。
後半はまたあした、ね?