「百の診療所より一本の用水路」にクラッ☆
ホテルでの本番を無事終えて撤収した後は、豊橋の大手で心意気とハイクオリティ仕事を誇る「東雲座」さんの忘年会に参加。東雲座さんには、3年前にUmiちゃんが企画制作した大きなフラ&ハワイ文化イベントでもお世話になり、浜名湖のホテルで一緒に暴風雨・猛嵐の中、風で空を舞う舞台に呆気にとられながらも、共に苦難を乗り越えた同志のようなスタッフが大勢います。この嵐の中のフラ・イベントは、一生の思い出になるくらいのレアな苦難続きで、思い出すともう笑いしか出てこないくらいのシロモノでした。はははははって感じ。でも、伝説のミス・アロハ・フラであるダンサーのナターシャ・オダさんと親しく交流する事もでき、男気の東雲座スタッフと知り合うことも出来た楽しい思い出です。だから、やっぱり参加したかったのだ。このエピソードもまた今度紹介させてね?(^^)
Taka君が今年音楽制作で参加した<豊川用水の芝居>もこの東雲座制作だったので、会は芝居の話で盛り上がっていました。でも、一緒に大変なことを乗り越えたスタッフさんって、時が経っても、会っていなくても、何となく気心が通じあえるんだろうなあ。
”この人はプロとして・人として・信頼出来る”って気持ちがあるからかなぁ~懐かしくて楽しかったです♪それから、鰤カマ焼きとか、しめ鯖とか、生きくらげの天ぷらとか、とにかく魚介類が新鮮で美味しかった~。一年の疲れがとんじゃった(’v’)<豊川用水の芝居>は企画書とプロットのみ状態でTaka君が依頼を請け、膨大な量の音楽を短期間に作曲しなければならなかったので、劇中のテーマ曲の作詞とメロディー直しと仮歌だけMariも手伝だったんだけど、この前親子劇場で公演したPLATという劇場で7.2サラウンドシステムを駆使した音楽になり、Taka君は不眠不休の仕事だったにも関わらず、ヒジョーに楽しんだそうです。(写真は豊橋名物の手筒花火です)
芝居の内容は~~~50年前に東三河を日本一の生産高を誇る農業地に変えた、豊川用水のお話。当時の工事に関わった人達、ダムの底に土地が沈むことを良しとした人達、様々な関係者の喜怒哀楽を包括して今の豊川用水がある。
舞台はその人達が年老いて暮らしている老人ホーム。そこには介護士としてアフガニスタン出身の若い女性が働いており、老人たちと交流しています。豊川用水を作る苦労話のみで終わる原作を、Taka君や演出城田さんのアイデアで、犠牲になった命(ダムの底に沈んだ自然の無数の命)や、アフガニスタンという世界にまで繋げ、「命を支える命そのもの=水」「普遍的なテーマ」にひろげたところが、今回の芝居の快挙だとMariは思いました。
Taka君が作ったオケと仮メロを聴かされ「これに歌詞も書いて、アフガニスタン風ニュアンスに直して歌って欲しいんだけど。」と頼まれた時は”芝居の台本が出来上がる前にテーマ曲の歌詞を書くって、さて、どーしたらいいだろう?”と悩みました~。(写真は豊橋駅通路の動物方位MAP. アフガニスタンはなかったけど、縁が深い国がいろいろあって、夢中で写真撮っちゃった、へへへ)
「だいたい、なんでアフガニスタンなの?」と訊くと、実は、日本人の中村哲医師という人が、アフガニスタンにマルワリード用水路という用水路を作り、砂漠が見事な緑の大地に変ったという実話があるとのこと。NHKスペシャルでもやっていたそうです。
<砂漠が緑の大地に生まれ変わる光景>このキーワードだけを大事に持ち帰り、自分の中で拡げて、勝手に自分の中でイメージして勝手にそのメッセージ性の深さや思いや世代を超えて託す希望やなんやを想像し、お得意のひとり妄想にどっぷりつかって爆走、By Myselfな物語を作りあげ、歌詞を書きましたなり。3番まで思いのこもった歌詞を書いたところ、「劇中なので2コーラスまでしかいらないから。」と、どうしても短くまとめてくれとのこと。「ええ~~~!どれも大事な言葉だよ~~」と反論したところで、あくまでも芝居のための歌。泣く泣くあちこち削って短く仕上げました。
結果的には、運よく?笑(^は^)台本にぴったりの曲となり、大好評だったようでメデタシメデタシ♡中村医師の詳しい活動については、今、Blogで芝居の事を書くにあたってTaka君に色々訊いて初めて知りました。オファー当時は中村医師の名前も知らなかった・・・ネットで沢山紹介されていて、感銘を受けたので、紹介するね?青字をクリックすると動画や写真付き記事が見られます。
凄い方がたくさんいる。。。ひたすら頭が下がります。ちっぽけな自分の役割はなんだろう、、、、、こういう考え方や活動をしている人が生まれている日本、豊かな自然の水に恵まれた日本が、どうして「命の水」を大切にしないのか?またはそう出来ない事情があるのか?全くニュースで報道されなくなっている福島原発の現場や自然汚染のその後、それから水質低下が心配との声が報道番組で紹介されている上下水道の民営化問題などなど、世事に疎いMariですが、せめて興味を持ち続けていこうと改めて思いました。
☆中村哲医師についてNET IB NEWS より抜粋➔中村医師は九州大学医学部卒後、国内での病院勤務を経て、84年よりパキスタンのパクトゥンクワ州の州都であるペシャワールに赴任し、主にハンセン病の治療に従事。86年より同国内のアフガン難民への診療を本格的に開始し、医療を通じて多くの人々の命を救ってきた。しかし、医療だけの活動で難民を救うことに限界を感じ、「飲み水と食料の確保、ひいては農業用水を確保することこそ、人々の難民化を防ぐ」「百の診療所より一本の用水路」との思いから、2000年頃より水源確保事業にも着手。02年からは「緑の大地計画」として、かんばつ対策のための水源確保(井戸や用水路の掘削)や農業指導などにより農地の復興を進めるとともに、難民の帰還を想定した長期的な農村の復興事業を展開し、現在に至っている。
⁂ペシャワール会 中村氏からの報告* 西日本新聞「アフガンの地で 中村哲医師からの報告」15年緑の大地へ夢半ば