さよなら昭和のぱちんこやさん、またねクロモンカフェ😽
子供の頃、家族でNYCから帰国して最初に住んだ下町風の商店街に、今で言う「超エモい」✨✨✨昭和なパチンコやさんがありました。ちっちゃなちっちゃなパチンコやさんで、たしか壁が薄いピンク色に塗ってあったような気がするんだけど、記憶があいまいなので間違いかもしれません。薄いピンク色が合う、のんびりとした、でも何だか楽しそうなお店で、入り口は開けっ放し。中の様子が外からでもよく見えるお店でしたニャン😽今時の派手なパチンコやさんとは程遠い、古~~~いゲーセンみたいな感じを思い描いてもらったら、ちょっと雰囲気がわかるかなぁ・・・
リハーサルスタジオの広さから想像するに、16~20畳くらい???通りがかりにのぞくと、近所の👴おじいちゃんや👵おばあちゃん達が、おしゃべりをしながら、手でパチンコの玉を一つ一つ弾いていました。世間ではもうとっくに電動式になっていても、そこだけは時間が止まったまま?ずうっと手で一つ一つ弾くマニュアルで、安くで長く遊べるので、遊びに行く人達も、家族も安心なパチンコやさんとして、商店街に長いことありました。ああ、旅館にある手動のサッカーゲームとか、あんな感じに近い雰囲気かも🦆ある時、そのパチンコやさんがなくなって、入れ替わりにお店だか事務所だかになり、時と共にパチンコやさんの思い出も薄れていきました。(。◕ˇдˇ◕。)/ 📚今、ちょっと調べたら、パチンコって大正時代からあったんだって。はじめはすごく単純な作りの子供のおもちゃで、大人には一銭銅貨を使う「一銭パチンコ」が人気だったそうです。その単純な作りのパチンコの歴史の中、1948年に釘が複雑になった「正村ゲージ」が誕生し、そこから劇的に様々に進化して、大人気遊戯の地位を獲得しながら、今に至るそうです。
へぇ~~知らなかったニャン🐈 何年か前に、小さな古いこの建物の2階に、小さな食堂「クロモン食堂」があり、そこで子ども食堂もやっていることに気がつきました。お米とか、持って行こうかなと思っているうちにコロナになって、子ども食堂は閉鎖してしまい、そののちに、ある日突然、一階がガラス張りのアートスペースみたいになり、壁にイラストが描かれたり、時々机を並べたて食材や小物を売る小さなマルシェも開催されるようになりました。その名も「クロモン・カフェ」。👩🎵コロナが終息したら、ここでアコースティック・ライブをやってみたいなぁ💖そんなことを思っていたんですニャー。(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
ところが、ある日、張り紙がされていて「クロモン・カフェ」がもうすぐなくなり、建物が取り壊されてしまうことを知りました!ショック~~子供の頃にあったパチンコやさんの思い出が、ぶわぁ~~~っと蘇り、「ああ、なんでもっと早く、問い合わせなかったんだろう・・・お客さんがいなくても、ライブをやればよかった・・・」と後悔するも、後の祭り。いよいよ閉店の日の夜、お店の前で偶然、手持ちの荷物を抱えて立ち去るクロモン・カフェの店主さんに、お会いすることが出来ました。ちょっとだけ、ぱちんこやさんの思い出の話等もしながら、涙がダァーダァー流れてることに気づきました。マスクの中は鼻水~💦💦💦子供時代の懐かしい匂いがする場所が、また、ひとつ、なくなってしまうのが、寂しく切なかったのかもしれませんニャ~。しかし、がらんとした空間に、ネコさんが描かれていて、🎵またね🎵って言ってくれてる絵が、あたたかかったですニャン🐯 うん、またね🎵