天才アラビアンダンサー(ベリーダンサー)キミヤ・サレーさんとの出会い

今年後半は、加えて念願のアジア中東、ハワイ系のプログラムHEY!WAO!ドットコム制作で始動しますっ!なぜか知らないけれど、日本に拠点を置いて活躍している尊敬できる外国人アーティスト達と何故かご縁があるMari、これは自分のアーティスト活動と同じくらい大事なライフワークだもんね(’v’)「まずこれをやってから、、、もうちょっとあとで、、、」ってぐずぐずしてて時間が間に合わなかった素晴らしいアーティストさんもいて、後悔先に立たずだったので、やれるだけやるつもり。なので、応援よろしくお願いいたしまりまり~~♪♪♪♪♪って考えていたら、その間に合わなかったお二人のことをしみじみと思い出してしまいました。インドの名シタール奏者:チャンドラカント氏については、以前にBLOGでご紹介しましたなり。もう一人の、日本に本格的なアラビアンダンスを伝えたパイオニア的存在のルックスも心も美しいKimiya Sareh=キミヤ・サレーさんのことは、まだご紹介していなかったような、、、生徒の皆さんが生誕45年周年イベントを開催したらしく、写真が見つかったので、UPしまーす♡「日本にはまだ馴染みの薄い中東の文化交流プログラムで、ぜひ一緒に学校公演や芸術鑑賞会をやりたい」って思っているうちに、2009年に病気で突然、若くして天国に旅だってしまいました。

国際アラビアンダンス協会創始者でもあるキミヤさんとの出会いは、友人が彼女に依頼されてアラビアンダンスのノウハウDVDの制作プロデュ―スをしたのがキッカケ。Mariは学生時代、、んんん絵本を読んでいた子供時代からかな?ずうっとエキゾチックな中東文化に興味があったので、頼み込んで撮影見学、そのスタジオでお会いしましたなり。ぽけ~~っと見惚れちゃうくらい色白の超美人で、しかも周りへの心配り、日本語の美しい言葉使い、何から何まで超魅力的な女性で、もう、あたしゃ男だったら惚れちゃうネ!!って感じ。でも撮影慣れしていないらしくて、ダンスについて日本語で解説するパートの撮影時は緊張して、カミカミになっちゃっうんだけど、そのギャップがまた何とも愛しくなっちゃう~~(>v<)長丁場だったので、何回かの休憩時間にお話ししました。その時にキミヤさんから聞いたお話です♪

 

 

キミヤさん、本名はマリアン。イランの首都テヘラン生まれ。お祖母さんのダンス指導をされ5歳にして天才少女ダンサーとして有名になり「キミヤ=奇跡を起こせる人」と呼ばれるようになりました。ところが、1979年のイラン革命後は、母国は音楽もダンスも禁止となってしまいす。そこで、彼女はトルコに活動の場を移し、そこで国際大会にて振付指導した生徒が2年連続優勝、自身も優勝するなどダンサーと同時に振付師、指導者として多くの実績を残します。

ダンサー・振付師として有名になったキミヤ・サレーさん。でも、当時の中東社会では、女性である自分がダンサー=アーティストとして出来る活動は非常に制限されていたので、ある時、海外で思いっきりアーティスト活動すると決心します。お母さんも応援してくれて一緒に実現に向けて歩き始めたそうです。お母さんはデザイナーで、ちょうど海外での仕事展開を考えていたのです。「どこの国へ行こうか?どこで活動しようか?」2人でいくつかの国を下見に訪れました。そして、初めて日本に来た時、「ここだ!ここしかない!」と思ったそうです。そうして、1992年(22歳)に来日し、日本で芸能活動を開始したそうです。(レコードリリース、TV出演、振付、講座開催、DVDや著書の発行などなど。)
日本を選らんだ理由は色々言っていたように思います。「人がみんな優しくて親切」(ふむふむ)、「景気がいい」(ほおほお)、「とても清潔で綺麗で(ふむふむ)」、「しかも夜でも女性が歩けるくらい安全(ふむふむ)」、、、そして,
最後にキミヤさんが言った言葉にMariは衝撃を受けました。今でもその衝撃は残ってるし、目が覚める思いでした。
「それに同じアジアの国、同胞だから
この一言をきくまで、Mariは中東が「同じアジアの同胞」という意識は全くなかったの。むしろ、「遠い、異国情緒あふれる、魅惑的な異文化の国々」。ものすごいカルチャーショックで、ものすごく自分が恥ずかしかった。アメリカナイズされてる自分を見た気がしました。(子供の頃アメリカに住んでたから仕方ないとはいえ、同胞と言ってくれる人に対して、この意識の低さはマジで恥ずかしく申し訳ない気持ちでいっぱい。)この時以来、中東の国々を見る目が変わりました。元々、どこか懐かしく感じるのもシルクロードで繋がっている同胞だからかもしれません。。。キミヤさんのたった一言のおかげで、中東への見方が変わりました。感謝しています♡
ダンス協会の方は、妹のミーナ・サレーさんがキミヤさんの意志を継いで現在も生徒さん達と活動しているようです。ミーナさんのインタビュー記事によると、「ベリーダンス」という呼び名は数十年前にアメリカ映画界がアラビアンダンサーを起用し始めた時に付けたわかりやすい呼び名で、この呼び名は一気に英語圏で広まりました。でも、正しくは「アラビアンダンス」。諸説ある中、一節によると8000年前からアラビアで踊られていたダンスで、そもそもは女王様だけが踊ることを許されていた美ボディになるためのダンスだったとか???その後、王様が支配者になった時代には宮殿の女性達が王様のために踊るダンスとなり、クレオパトラの時代に彼女が一般人に踊ることを許してから、一般人も踊れるダンスになったようです。
ベリーダンスは、フラと同様、一過性の人気で終わらず、日本にしっかり根付いているダンス。フィットネスでも根強い人気、ダイエットでもインナーを鍛える動きだから身体によいと人気。そんな今の流れの始まりに、キミヤさんの努力があったんだな~~って思ったりします。誰かとまた良い出会いがあったら、学校公演や芸術鑑賞会でも、中東系のプログラムを作りたい! そう思うMariでした。