💀🌸力寿の亡がらを抱きしめたまま1週間?🌸💀

👉定基が東三河での任期を終え都に帰る時期に、重い病に臥して亡くなったと書きましたが、その病は別れる悲しみのあまり・・・という説もあります。また、一説によると力寿は自ら命を絶ったという話も残っているそうです。どちらの説でも妄想はひろがりますにゃ😽定基が、もともと自分の人生のベースがある都に呼びも出されたことで、ハッと浦島太郎のように以前の価値観に戻ってしまい、それを感じた力寿は、(妻子や家のある都に戻るのは本筋だし、命令なのだから、どんなに引き留めてもきっと別れを切り出される。それは仕方ない悲しい現実なのだ。そんな現実になる前にいっそ~~)と察して命を絶ったかもしれないし、、、

🌸ううーん、そもそも赴任してきた当初の定基は、力寿に魅かれたとはいえ、忙しく任務をこなし、良家の子息でエリートとしての出世街道を進むために自分を律して仕事に邁進していたという記録も説も残っているようです。チャラ男ではなく、出世欲もある仕事熱心なエリート青年だったというわけ。それでも、結局2人は恋におちた💖だって、運命の出会いだから💖純情可憐ながら、洞察力もあり、感性豊かな力寿は、彼をもっと知りたいと思いながら日々語り合う中で、定基の仕事に対する情熱も、重々感じ取っていたと思われますにゃ🐯だから、「命令がきても関係ない!都も地位も何もかも捨てて、私は力寿と共にここで暮らす!」と言い張る定基を見て、(彼が命令に背いたかどで罰せられてしまう、このままでは私のせいで彼も、彼の親兄弟家族皆も不幸になってしまう。・・・全てを捨てて共にあると言ってくれるのは嬉しいけれど、そこまで想ってくれる彼を、自分のために不幸にしてはいけない・・・でも、別れましょうって言ってもきく人ではないし、、、それならば、彼の想いに応えて自分に出来ることは・・・👼✨✨✨🌸🌸🌸)と思い詰めて、(魂となって彼を思い続け、永遠に愛し続けること)✨✨✨✨✨と、突き進んだのかもしれません。。。

🚥いやいや、ちょっと待て待てモーメント✋良家の子息でエリートコースに乗っていて志もある定基が、全てを捨てるとは思えないぞう🐘なので、彼が力寿と仕事のはざまで悩む姿を見て、力寿が燃え盛る制御不能なパッショナータ愛の勢いにのって、彼のために突き進んだかもしれないですにゃ。🌷乙女心はツライ💦物事を見る力がある力寿は、「自分の恋情とエゴからくる希望」と「彼への本当の愛とは何ぞや?」のはざまで、苦しんだかもしれません・・・・女性陣のみなさん、あなたが力寿だったらどうしまするるる?力寿じゃなくも、どの説で、想像の物語をすすめますか?🍂🍂🍂

👉👉👉物語は、戻って👉👉👉👉定基は、力寿の亡骸を手放さずに抱きしめたまま引きこもり続け、周囲は彼女を埋葬することも出来ず、一日、一日と日が経っていきます。💀亡骸が徐々に変化していくにも関わらず、執着し続ける定基。「イダキテフシタリケルホドニ、七日ニナリケルニ、クチヨリ虫共イデキケレバ……」うひゃぁ~~~(T_T)💦💦💦💦💦でも、可憐で美しい力寿の姿も無常に変化していきます・・💀💀💦💦💦ちょっと怖いような感じで、ちょうど一週間がたった時、定基の夢枕に文殊菩薩が現れ、力寿を埋葬せよというお告げがありました。🌞常日頃信心している文殊菩薩の霊告により、やっと力寿の亡骸への執着を解いた定基は、そのお告げに従い、力寿姫の腐った舌を抜き⛰陀羅尼山に登って舌を埋め「文殊楼」を建て、力寿山舌根寺と号しました。

また、力寿姫の菩提を弔うために赤坂に長福寺を建て裏手の高台に亡骸を埋葬しお墓も建てました。この文殊楼が今の財賀寺にある文殊堂で、毎年3月には文殊祭りが行われています。)🌸🌸🌸ちなみに、お告げは、文献によるとこんな感じだったみたいです➡🌟「乃(すなわち)力寿の舌をきり、以て陀羅尼(だらに)山の峯に登り、その舌を埋め其の所に楼をつくり文殊の像を安置し且つ一寺を建つ、而して楼を文殊楼と称し、寺を舌根寺と名づけ、峯を力寿山と号す」🌟この時、彼は25歳くらいでしたとさ。最愛の力寿との死別、その時の自分の心、今まで想像したこともない体験を通じて、定基は、どこかで本能的に「諸行無常」を感じ始めていたのかもしれません。

ふぅぅぅ~~~~ 新しい文献を見つけてしまった・・・・・とても今回のブログだけでは、書ききれなかったので、次回に続くでありまっするん🐰