片山九郎右衛門「藤戸」を初体験(3)クライマックスに凍る
話はストーリーに戻ります。『盛綱から、盛綱自身が口封じのために、彼に協力して海の渡り方を教え、結果手柄をたてさせてくれた=いわば功労者=恩人でもある自分(老婆)の息子を刺し殺したという話を聞いた老婆は、半狂乱となり、自分も殺せと転げまわり、我が子を返せと盛綱に迫ります。盛綱は老婆をなだめ、漁師を回向することを約束し、家に帰らせました。』写真は歌川国芳による「魚夫を殺す佐々木盛綱」の画。さすが国芳!まさか協力してあげた盛綱が自分を殺すとは夢にも思っていなかった若い漁師の驚きや無念さまでが、殺されまいと抗う必死の形相の中に感じ取れます。盛綱の険しい顔には、自分の利や自分の正義のみを考えて罪なき人を平然と殺めるエゴと、何かに憑りつかれているような異常な精神状態が現れているみたいだし。。。。
おっとっと、また横道にそれちゃった。舞台上では老婆が、盛綱が自分の息子にしたヒドイ仕打ちをぐぐぐっと堪えながら座って聞き続けています。立ちあがろうとしながら、その衝動を必死に抑えて座利続ける様子が見ている側に伝わってくる。動きは僅かなのに、二つの真逆なベクトルが拮抗しながらせめぎ合って葛藤している感じが凄くて、緊張してくる。気がつくと囃し方の演奏がさりげなく徐々に緊張感を煽っているんです、これが。う~ん、やられてるなぁ、、、それがわかってもわからなくても、老婆のわずかな動きと音楽で緊張感は高まる一方であります。高跳びなら助走してジャンプへ向かうってわかってるけれど、この緊張感はどこへ向かって行くんだろう???見当がつかないからただただ緊張していくの。変な感じ。一瞬、ほんとに一瞬の隙に老婆が目にも留まらぬスピードで立ち上がりぶわっと両手を拡げながら、盛綱の方へ攻撃的なエネルギーで駆け寄ったので、ギョッとなったら、次の瞬間、その途中でピタリと止まった。(うわっ!!!)息をのむ。会場全体が一瞬凍りつく。クライマックス。盛綱につかみかかるのか???静止状態の老婆と一緒に呼吸も静止したまま。この後、老婆は、再び、ぐ・ぐ・ぐ・ぐ・・・と怒りを押し殺しながらまた元のように小さな老婆になり、盛綱になだめられて、去って行きます。
『』に書いたあらすじのような、半狂乱で転げまわるシーンはなかったように思う。正直、振り回されて記憶は定かじゃないんだけどね、、、(>v<)多分ここが『我が子を返せと盛綱に迫ります。』だったのかな?地味な動きなのに、クライマックスの一瞬に全てを凝縮して持って行く、これが「気迫」というモノかと思いました。藤戸は、”時の権力の下で理不尽に自分の命や息子の命を奪われた親の無念さや行き場のない哀しみを描く反戦能”だと解説に書いてあったのを思い出しました。
『盛綱が、藤戸の海辺で管弦講(かげんこう)を催し、般若経を読誦して漁師を弔っていると、漁師の亡霊が海上に姿を現します。亡霊は、無惨にも殺された恨みを語り伝えに来たと言い、刺し通されて海に沈められた惨劇を見せるのでした。亡霊は、悪龍の水神と化して、恨みを晴らそうとしていたのですが、意外にも回向を賜ったことに感謝し、彼岸に至って成仏の身となりました。』
ふう、思い出しながら書いてたら方凝っちゃった(@。@)橋掛りの下の白洲には松が三本並んでいて、本舞台に近い方から一の松、二の松、三の松。遠近感出すために、だんだん小さい松を置いているんだって。
じゃあ、ね~♪おやすみなさ~い。あ、みんなはGW突入なのかな?明日は昼からパンチャラマのアコースティックライブ、行ってくるね~