今昔物語🌸石橋🦁、定基はあちこちに登場してるのだ👍✨✨✨

Mariの想像と妄想の定基力寿の恋物語は、「力寿の死」を大きな転機に、定基が出家して寂照となり、仏道精進の末、宋でも光栄な名僧となり、宋帝円通大師という名を賜り、人々に尊敬されながら、日本に帰国しないまま、宋にて老衰で入滅して終わりました。🎉🎉🎉🎉🎉。でも、何と言っても、昔のことだし、克明な記録があるわけでもないので、説はいくつもあるの。

それでも、点、点、点、と残る記録をつないでいくと、彼がいかに優秀で、いかに魅力的な人だったのかが、伝わってきますにゃ😽また、その時代では有名人だったので、一般ピーよりは、色々な形で記録が残っているから、記録(点)がそこそこ多いのも、とてもラッキー。多数の人による記録によって、様々な物語になっているので、書き手によって内容が多少違っていますけど、逆にそれだけ、自由に色々と想像できるというのも、膨らみや奥行きがあって、楽しいです。(歴史や記録は、書き手の忖度や人柄や目的にかなり左右されるもんね(●´ω`●)

例えば今昔物語では、力寿は三河の長者の娘ではなく、都時代に定基と深く愛し合った女性で、彼は彼女を連れて三河に赴任したとあるし・・・名僧となる寂照としてのエピソードも、今昔物語の現代語版にも色々あるので、読んでみると、ちょっと超常現象が起きたり、ファンタジックな部分もあって、物語としても教えとしても、面白いよん(●´ω`●)。🌳🌲🌲定基のことは、Mariが面白可笑しくするために、ちょっぴりチャラ男君っぽく書いてしまったけれど、実際は、人情家、良家の御曹司、中央政務で将来有望、才能溢れる、、、そんな魅力的な青年であり、歌や楽の才能にも秀でていた。しかも内面だけでなく、外見もイケメンだったと記述が残っています。ま、どっちにしても、素敵で、モテそうだよね?(⋈◍>◡<◍)。✧♡

🎵ところで、Mariは、定基のこと、全然違うところで知ってたことに、昨夜気づきました。この市民音楽劇の音楽を創ったTAMTAMTaka君のメールに「お能の石橋にも出てくるよ」と書いてあり、(へ?石橋しゃっきょう?お能の超メジャーな演目の、あの、石橋?)と、慌ててチェック!そしたら、なんとなんと、登場する僧侶の名前が寂照になっているではありませぬか?!!咲き誇る大輪の牡丹の花のもとで獅子が二匹、戯れるように舞うシーンが華やかで有名な演目でっする。

というわけで➡石橋のざっくりしたあらすじで~す👉🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌲✨✨✨「昔々、天竺(中国・インド)に渡った高僧・寂昭法師(=大江定基💖)”は、仏跡を巡る旅を続け、霊山=清涼山(しょうりょうぜん)に辿り着きました。山の麓には石橋があり、幽玄な山の中へと続いています。寂照が意を決して渡ろうとすると、樵(きこり)が現れ、語りかけてきました。「この橋の向こうは文殊菩薩の浄土である」「だが、この石橋は非常に狭いうえに(30cm?)苔で滑りやすく、しかも長く、深い谷川に架かっているため、人が容易に渡れるものではない。」。✋この言葉は、つまり、仏道修行の道は困難で果てしなく、尋常な修行では渡るのは無理だから・・・と、寂照に諭しているんだそうです。

また、橋のありがたさやいわれについても語ると、やがて、👋「しばらくここ、橋のたもとで待つがよい。奇瑞を見るだろう」と告げ、消えてしまいます。寂昭法師が待っていると、🐾🐾🐾🐾橋の向こうから文殊菩薩の眷属である霊獣・獅子が現われます。(演出により、獅子は1頭だったり2頭だったりするみたい)。橋のたもとに美しく咲き誇る牡丹の花に戯れ、勇壮で豪快な獅子舞を舞いながら、世を祝福して、文殊菩薩のもとへ戻っていきます🐾🐾🐾🐾🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌲✨✨✨

 

お能は言葉も少なく、説明の少ないので、これまた色々な深い解釈があるようなので、興味を持ったら、いろいろと調べると面白いと思いますにゃ🐯とにかく、説明が少ないものって、いかようにも自分次第で解釈できるから、難しいけど、面白いし普遍性があるよね🌸童話もそうだもんね🐶😽🦊🐰🐢

獅子が舞うシーンはとにかく人気で、歌舞伎でもアレンジされていています。けぶりという長い毛を振り回す踊り、見たことあるでしょ?あれです!