AFYアフリカンフェスティバルよこはま2017.3日目(2)ニャマ・カンテ&ジェリドンⅠ

日本に居る、ただ1人の西アフリカの女性グリオにして歌姫、「ニャマ・カンテ」。娘時代からコートジボワールの国民的アイドルで、ダンスと歌とその美貌で人々を魅了していたニャマ。若い女性達はみんなこぞって彼女のファッションを真似し、男性達は高嶺の花と憧れる存在でした。そのニャマが日本に来たのは、日本人の男性と結婚したから。国士舘大学の文化人類学の鈴木裕之教授が、アフリカ滞在中にニャマに出会い、二人は恋に落ち、先生がプロポーズして口説き落としたのであります。それにしても、よくまあ、遠い日本にお嫁に行こうって決心したなぁ~。

このあたりの詳しい話は、鈴木先生ご本人が「恋する人類学者」という本に書いて数年前に出版したので、ぜひ、読んでください。先生は当時、「私達のアイドルをさらった憎き日本人!ニャマを返せ!」と、コートジボワール中の人から恨まれ、非難されまくったそうです。新聞にも載ったとか。そう話しながらも、ニャマと結婚した幸せでいっぱいの鈴木先生は、全然へっちゃらって感じでした。写真は若き日の鈴木先生。コートジボワールのストリート文化についての著作物を出版してます。なかなかイケメンじゃない?(’v’)

「コートジボワール」は「象牙海岸」という意味で日本でも昔は象牙海岸と呼んでいたそうです。ガーナは?「黄金海岸=ゴールドコースト」そして植民地政策を展開していた欧米の国々がアフリカの3大貿易品の場所として、もう一つ「奴隷海岸」と名付けた場所もあるんです。ホントに酷い。絶対こんなこと、繰り返してはいけないし、繰り返させてはいけないと思う。

Mariがニャマに出会ったのは彼女が日本に来て間もない頃で、美人モデルのようなルックスで近寄りがたいくらいのスターオーラを発散していたのを覚えています。でも、話すととっても気さくで、心遣いのある女性だったのを覚えています。鈴木先生が、二人の結婚式の記念写真を下さり、その写真の中の、民族衣装で微笑む幸せそうなニャマと、国民的アイドルの美貌の歌姫の心を射止めた喜びでニヤニヤがあふれ出るのを隠しておすましキメ顔で気取っている鈴木先生の幸せそうな顔が忘れられません。ニャマの、アメリカの黒人(アフリカンアメリカン)歌手とは全く違う、ストレートに魂にささるような力強くまっすぐでスピリチュアルな歌声は、衝撃でした。

 

沢山の人に聴いて欲しくてすぐに知り合いのCMの音楽制作会社に紹介して、CM用に歌のレコーディングをしたことがありました。その時、ニャマは赤ちゃんを連れていて、歌っている間は女性ディレクターやスタッフが抱っこしていました。(この会社や、ミスターミュージックさんにはB.Bモフランやアッサン・ジャバイやタブー・ンゴンゴやダウディ、ローレンスなど素晴らしい仲間や知り合い達を随分紹介して、彼らの歌声が色々なテレビCMで流れ、嬉しかったです)。アフリカの音楽や歌が、日本の音楽業界ではまだ全然知られていないことに毎回ちょっと驚きながらも、初めてアフリカの歌や音楽を聴いた日本のスタッフが200%感動するのが、自分のことのように誇らしいMariでした~~(^^)その後、世界的なワールドミュージックブームのおかげで大分ポピュラーになり、これも嬉しかったです。

その時のかわいい女の子のベビーが、今はもう高校生。時の流れのはやさにちょっと落ち込みますぅ~。(>。<)

その後も時々、CMのお仕事をお願いした折に会ったけれど、いくつになっても少女のような可愛らしさを失わないニャマ。自分がステキとかカワイイとかカッコイイと思ったモノや事は、ためらわずに取り入れるという独創的でアーティスティックな部分も変わらずでした。例えば、ネイルをそれぞれの指ごとに違う色にするとか(当時はまだ一般的じゃなかった)、服を自分でリメイクしちゃうとかちょっと似てるところもあったので、共感しました。人が「変だよ」って言っても、オリジナルのファッションセンスを通すところとかもね♪、、、ただ、自分はだんだん社会の常識とのバランスをとるようになって失なっていった部分があるので(それでも変だと言われますが)、そのまま突き進んでいるニャマが眩しく感じる時もあります。

AFYが始まって、毎年会えるようになり、それが楽しみ♪♪♪ニャマに会うと、自分らしく在ることはOKなんだ、素敵なことなんだって、「自信」が元気になるの。そしてニャマ・カンテはAFY出演最多のアーティストかも?いつも、ステージでAFYを応援してくれる。実行委員長のコフィとニャマは仲良しです。

きょうは思い出話で終わっちゃった♡明日、ライブのレポートを書きま~す。