B.B.MofrankビービーモフランStoryB.B meets Japanese

お待たせしました!AASのリーダーB.B.Mofrankビービーモフランを紹介する「B.B.MofrankビービーモフランStory」シリーズ、ついにスタート!です。B.B meets Japanese<1>

一番古い友人でもあるB.Bモフランとの出会いはまた別の回で書くとして、B.Bモフランと日本の最初の縁から、スタートしようかな?彼は最初に日本にアフリカン音楽を伝えに来た架け橋的存在で、多くのプロパーカッショニストが一度は彼に師事してアフリカん音楽を学んだといっても過言ではない、そんな人なんです。全然エバってないけどね(^^)そして、、、例にもれずオヤジギャグが好き、、、、ただし!レベルが高い!B.Bモフランの言葉の感性の鋭さ、ユニークさについても追々紹介していきますが、まずは、B.Bモフラン meets Japanese! 編の始まり始まり~~

モフランが最初に日本人と出会ったのは1983年母国コンゴ民主共和国の首都キンシャサでのこと。(当時はコンチネンタルホテルからオファーを受け、キンシャサやナイロビで演奏していたそうです。)道端で途方に暮れている日本人の旅行者@さんを見かけたのです。あまりに暗い顔をしていて様子がおかしいので、モフランは声をかけ、事情を聞きだしました。@さんは書類からお財布から何から何まで盗まれて、ホテル代も支払えず、次に行くべきケニアのナイロビへの航空券もなく、知り合いもいないキンシャサで、ただただ途方に暮れてボンヤリしていたそうです。そこで!われらがB.Bモフランがひと肌脱ぎました!

まず、一緒にいたミュージシャン仲間からカンパを集め、@さんと一緒に彼が泊まっていたCホテルに行き、@さんの荷物を引き取りがてら精算。そのあと自分の家に連れて行って荷物を置き、みんなでライブに連れて行ったりご馳走したりと楽しいひと時を過ごし、自宅に泊めてあげたんだって。@さんが本当は翌日ナイロビに行く予定だったと知り、翌朝にはカンパし合ったお金でナイロビへの航空券を買って@さんがナイロビ行きの飛行機に乗れるよう助けたそうです。

ナイロビに行けば、知り合いもいるし大丈夫だということだったので、「やれやれ良かった良かった。」とホッとして飛行場で@さんを見送って目出度くバイバ~イ。。。。。と、ここでこの話はお終い。

 

 

かと思いきや、このエピソードが思わぬ方向に進んで行きます。@さんが到着したナイロビには日本人社会があり、小さくて狭いので日本人同士はすぐに繋がりました。@さんはその日、ナイロビのホテルで有名な実力派音楽プロデューサーのSさんに出会います。Sさんは数多くのJazzイベントや大きなフェスティバルをオーガナイズしている人で、常に世界中のアーティストを探しにあちこち飛び回っていました。その時も、広島・長崎の平和祈念コンサートに出演して貰うアフリカのアーティストを探しにナイロビに来ていたんです。アメリカのミュージシャンではなく、何か新しい音楽の風を求めていたSさんはその年、その新しい風を求めてアフリカに来ていたわけ。その話を聞いた@さんはビックリして、「自分もすごいミュージシャンを知っています!コンゴ人です!ライブ凄かったです!」とB.Bモフランの事を熱く語り、連絡先を教えました。Sさんはすでにケニアやコンゴ等周辺国から沢山の人気バンドをオーディションに呼んでいましたが、B.Bモフランに興味を持ち、急遽スタッフにコンタクトをとるように指示。突然電話を貰ったB.Bモフラン本人もビックリ。でも当時、モフランはコンゴとケニアを行ったり来たりしながら音楽活動をしていたので、すぐに一人でナイロビに飛びました。(行動力抜群だぜ!)

ホテルも用意された泊りがけのオーディション。指示されたオーデション会場に着いたモフランは、たくさんのバンドが集まっており、誰もが自分のバンドで演奏している事にまず驚きました。知り合いは誰もいません。そこに参加していた全てのバンドが演奏を終えた後、Sさんに「あなたは楽器は何を弾くの?」ときかれたので、パーカッションも演奏出来ましたが、キーボードを弾くと答えたB.Bモフラン。すぐにキーボードが用意され「何か演奏して下さい」と促されたそうです。他がバンドなのに自分はひとりだけ。そこでB.Bモフランは、とっさにある曲を弾き始めました。

すると、その場にいたミュージシャンたちが全員、その曲を歌い始めたのです。それは超有名なコンゴのアーティストFRANCOフランコのヒット曲「Sherryシェリー」(=ダーリンの意)でした。日本人スタッフは何事が起こったかと驚き、顔を見合わせたりキョロキョロ。続けてやっぱりヒット曲の「BONDOWEボンドウエイ」を弾き、みんなはノリノリになって歌い続け、B.B.モフランはご機嫌にソロを弾いたりして自然発生したセッションを盛り上げました。その後に改めて「何かJazzな曲を弾いてみてください」というリクエストに応えてひとしきり演奏して、その日のオーディションは終了し、皆、解散。

どう考えても、選ばれるのはバンドのどれかに違いない。ひとりでオーディションに呼ばれた理由もわからないし、、、、結果はいったいどうなったのだろう、、、、、、B.Bモフランには、全く想像がつきませんでした。(続く。。。。。ドキドキワクワク♡♡♡)

注;このシリーズはB.Bモフラン本人にヒアリングしてストーリー風に書いています。気を付けてはいますが多少の間違いがあるかもしれません。m(_ _)m