Daudi Josephの上を向いて歩こう in タンザニア少年時代(3)

Jumbo~! ジャンボ!(スワヒリ語のコンニチハ!) Daudi-Daviデヴィちゃんの上を向いて歩こう in タンザニア(少年時代3)!このシリーズは少年時代のエピソードをヒアリングして、MariTAMTAMまりが事実に基づいて物語風に仕立てています。物語風なので多少デフォルメや演出もあり、もしかしたら思い違いや間違いがあるかもしれませんがご了承くださいませりん。写真はタンザニアのものですがあくまでもイメージで、物語の情景が浮かびやすいようにとつけました。

Daudi Josephの上を向いて歩こう in タンザニア少年時代(1)  Daudi Josephの上を向いて歩こう in タンザニア少年時代(2) をまだ読んでいない方は、ぜひ読んでからこちらへどうぞ♪では、始まり始まり♪♪♪

お父さんは神学校に入っている間も、6か月に1度学校が休みの日には家に帰ってきていたので、始めのうちはお母さんはじめ家族みんなで何とかお父さんを説得しようと頑張りました。でもお父さんはあまりに深く自分の世界に入っていて会話はかみ合わず、終いにはもう何を考えているのか誰にもわからなくなってしまいました。何を言っても最後は穏やかな声で「GOD call me.」。家族は諦めモードになって、お父さんの働きをあてにせず、自分達で頑張って働いて何とか生活を続けました。

そんなある日、3年前唐突に家を出て行った時と同じように、お父さんは唐突に家に帰ってきました。神学校を卒業し牧師の資格を取って。「もしかしたら、昔のような生活に戻れるかも?」家族は一抹の期待を持ちました。が、お父さんは「明日から自分の教会を開いて牧師として生きる。」と、またまた爆弾発言。

 

教室が余っていた小学校に掛け合い、その1つを借り受けて、自分の教会にしたのです。毎朝、お父さんは自分の小さな教会(学校の空き教室)に出かけて行き、お昼を食べに帰ってまた出かけ、夜遅く帰ってきます。信者さんがいない時でも、ひとりでずぅっとお祈りしています。午後は日によって一軒一軒、知らない家を訪問してお祈りしたり話をする。なぜお父さんの行動を知っているかというと、実はDaudi-Daviデヴィちゃんは、お父さんがどうしているか気になって、学校の帰りや仕事の合間にしょっちゅう教会を覗きに行っていたのです。

「お父さん、教会に行く時間を少し減らして畑仕事や野菜を売るのをちょっとでも手伝ってくれると随分助かるんだけど、、、」とある日お母さんが頼みました。するとお父さんはこう答えました。「私の仕事は一人でも多くの人に神様の教えを伝え、一人でも多くの悩める人を助けることだ。だからGOD call me.そのためには大勢の人が寄り合える大きな教会をつくらなくてはならない。。。休む時間はないんだよ。時間が足りないくらいだ。だからみんなも、お父さんに協力してほしい。これは神様がお父さんに与えられた使命なんだ。GOD call me.」お父さんがGOD call meと言うのと同時に、みんなは心の中で(GOD call me…..)とつぶやいて、お父さんにわからないようにそっとタメ息をつきました。

「何考えてるのかやっぱりわかんない。」「今だって学校の教室を借りてるだけだし。」「大きい教会なんて夢物語なのに。」家族の思いをよそに、揺るがない強い信念と信仰を持って、お父さんは相変わらず一日も休むことなく、雨の日も晴れの日も風の日も、きちんと白いスーツか黒いスーツを着て、教会に出かけて行きます。一軒一軒の訪問も続けています。ダルエルサラームの気温は年間を通じて30℃,最低気温が20℃で、湾岸都市だから湿度も高い街です。

それでも、またお父さんが家に戻ってきて家族揃って毎日一緒に食卓を囲み、同じ屋根の下で暮せるようになり、家族みんなはどこか嬉しくて言いようのない安心感を感じていました。神学校の寮に入ってしまった時とは全然違いました。日曜日は家族も揃ってお父さんの教会に行きます。時には平日に掃除や雑用を手伝いに行く事もありました。

 

空き教室の教会に来る信者さんは始めは2~3人だったのですが、いつの間にか10人20人と増えていき、あっという間に教室いっぱいになりました。初めてその様子を外から見た時、Daudi-Daviデヴィちゃんは本当にビックリしたそうです。その頃にはDaudi-Daviデヴィちゃんも、牧師として語るお父さんの言っていること、ビジョンや考え、思いが少しずつだけどわかるような気がし始めていました。それはお母さんも姉妹たちも同じでした。そしてみんな、毎週毎週増えていく信者さんの様子に、目をまん丸くしていたのです。

そのうち、とうとう小学校の教室に入りきらないほど大勢の人がお父さんの教会に通うようになり、教室の外にも人が溢れ、お父さんのお説教を聞いたり一緒に讃美歌を歌ったり、お祈りをするようになりました。いろんな職業のいろんな人達。タンザニアの人をはじめヨーロッパからの実業家やアジアのお金持ち、政府の高官もいれば、貧しい家の人も沢山いました。お爺さんお祖母さん、白人黒人アフリカ人アラブ人アジア人、、、、お父さんは誰でも同じ様に分け隔てなく接して、親身に話を聞いたり相談に乗ったり、手伝ったりアドバイスします。

多くの人々に慕われ、頼られ、尊敬されているお父さんを見て、Daudi-Daviデヴィちゃんは、「もしかして、お父さんは立派な牧師さんなんじゃないか?僕がわからなかっただけ?」と思うようになりました。一方、Daudi-Daviデヴィちゃんの音楽大好き熱はやむことなく、歩いている時も仕事をしている時も、いつも流行の歌を口ずさんだりリズムをとっていました。ミュージシャンになれたらいいなぁ~という漠然とした夢は、彼の中で燃え続けていたのです。

ある日、また唐突にお父さんが爆弾発言をしました。家族全員、またまたドッカ~ン!!!

♡MariTAMTAMまりコメント;いかがでしたか?現在Daudi-Daviデヴィちゃんが老若男女国籍職業を超えて誰からも好かれ友人が多いのも、少年時代にお父さんの背中を見ていたせいかもしれないな~と思うエピソードでした。MariTAMTAMまりも、両親から、「絶対に人を見かけや国籍、人種、職業、お金持ちかどうか等で判断してはいけない」と小さい頃から言われ続け、実際に2人ともそのことを実践して人助けをしているのを見て育ったので、何となくわかる感じがします。

うちはパパが商社の宇宙航空機器部だったので常に海外を飛び回り、家族もはじめの頃は一緒に海外生活をして、両親共にアジア人としてちょっと見下されたり、モノを売って貰えなかったりといろんな思いをしたらしいので、よけいに「人はみな等しく人である」という考えを子供に徹底して教えたのかも、、、、と、今になって思います。また、感謝しています。daudiやLawrence, WinterHawkのようなステキな仲間と出会えたのも、それぞれが似たような考えを持っていたからだと思うので、これまた辿れば親のおかげ。アサンテ~ありがとう!パパ!ママ!

だから、私達は未来を担う子供達にそのことを伝えたいと思い、楽しい音楽コンサートだけではない普遍的メッセージを含んだ楽しい体験型芸術鑑賞会、参加型学校公演をHEY!WAO!,AASとしてやっています!

さてさて、Daudi-Daviちゃんのお父さんの爆弾発言とは???それは、次回のお楽しみ!

ところで夕日に浮かぶ木のシルエット写真、バオバブの木です。そう、星の王子さまに出てくるアノ木で~す。最初の教会の写真はダルエスサラームの有名な聖ジョセフ大聖堂=St. Joseph’s Cathedralです。カトリックの教会ですが、Daudiの名前と同じJoseph繋がりだったので、、、