HEY!WAO!写真で世界巡り第2弾:タージ・マハルでHEY!WAO!
HEY!WAO!写真で世界巡り第2弾は、インドの「タージ・マハル」でHEY!WAO!世界中にLOVE-vibrationが響きわたりますように!世界遺産でもあるタージ・マハル。いつか行ってみたい。行ったことある方、いらっしゃいますか?もしいらしたら、ぜひ!みんなの掲示版にカキコミを宜しくお願いします!ところでMariTAMTAMまりはインドのアーティストの方2人に人生の節目でとても大きな力を頂きました。ちょっと長くなっちゃうけれど今日はMariのインド人の恩人2人を紹介させてね(^^)
ひとりめはオーストラリア・パース在住の大学教授で音楽家のWencyウェンシーさん。ボリウッドで有名音楽プロデューサーとして活躍し成功者として美貌の女性と結婚したのだけど、ある日海外旅行中に全ての自分名義の財産がなくなって妻名義になり、離婚されて、無一文で失意のままパースに渡り、はじめは人種差別などで大変な苦労をしたそうです。彼がステージに登場するだけでビール瓶を投げつけられたりして、インドでは地位があったのでこの初めての体験に相当なショックを受けたと言っていました。でも、米国の売れっ子ミュージシャンンだったというスタジオのオーナーとの出会いに始まり、自分を友人としてリスペクトしてくれる良い人達と出会って、ついにはミュージシャンとしてだけでなく大学教授の仕事も得た人。まるで映画みたいな人生。******Long time ago Mariが某レコ社でのデビューが決まり、ソロアルバムのレコーディング(全部自分の作詞作曲)でパースに1か月滞在した折に出会ったパーカッショニストです。初めてのソロアルバム作りのプレッシャーに加えて、想定外で想像を超える関係者同士の大人の事情のパワーゲームが繰り広げられる毎日、当時精神世界大好きで純粋な(今はどうなのってか???笑)小娘だったMariは、ほとんど限界でした。ある日、スタジオにスタジオオーナーイチ押しというパーカショニストがレコーディングにやって来ました。白い服を着た品のいいインド人のおじさんで、彼がブースでボンゴの音を奏でた瞬間に涙が溢れてきました。数曲の録音が終り休憩の時に、彼は私を手招きして外に連れ出して話をしてくれたのです。
外にはバスケットボールのゴールがありました。ウェンシーさんは左手で私の肩を抱き、もう一方の手でバスケゴールを指さしながら、目を私の目線の高さに合わせるため屈みこんで言いました。「Mari,君は私と同じ家族だ。見た時にすぐわかった。だから君の気持ちはよくわかるよ。いいかい?見てごらん?あそこにバスケゴールがあるだろう?暗闇にいる時は、ただひたすらにあのゴールだけを見て、ゴールを目指して走り続けるんだ。そういう時、人は輝いている。ただ、暗闇で怠けている人達にとって輝いている人は自分達を照らし出す嫌な存在だから、彼らは一生懸命に君を暗闇に引っ張り込もうとするだろう。でもそんな人達に惑わされてはいけないよ。君は何のために一生懸命音楽をやっている?ゴールだけを見て!そうすれば大丈夫。いつかきっと辿り着けるし、世界中には君の家族が沢山いて応援してくれる。いいね?私の小さな家族。」何故か、Mariの記憶では暗闇の奥の方にほの明かるいバスケゴールがポツンと浮かんでいて、その明かりを見つめるWencyさんの横顔を右に見てから、彼の指がさす先にある暗闇の奥のバスケゴールを、彼とならんで一緒に見つめている自分の映像が鮮明にある。それくらい彼の言葉が描き出したイメージとメッセージが力強く強烈だったのだと思う。この彼の言葉と映像は今でも全く風化せず鮮明に残っていて、時々思い出し、励まされています。宝物です。怠けものなので、怠けていてもどんなことがあっても、人を暗闇に引っ張り込もうとする側にだけはならない!と固く心に誓ってますデス。
Wencyさんには日本から持って行ったうちわ太鼓数台をプレゼントし、お礼に彼が手作りしたエコロジー楽器を頂きました。お金がない時に作って演奏に使って以来、時々使うそうで、インドのタブラバヤという太鼓に似たものや、空き缶に取っ手をつけたマラカス等。まるで、今やっているエコ楽器パフォーマンスグループJUMBEの予言みたい!(残念ながらウェンシーさんの写真や当時の写真は見つかりませんでした)
もうひとりは日本に在住していたDr.Chandrakant Sardeshmukhチャンドラカント・サラデシュムク博士。十一代続くインド伝統医学・アーユルヴェーダの家に生まれ、お父さんは聖者と呼ばれ病院+薬草園+大学も兼ねた広大なアーユルヴェーダのホスピタル&リサーチセンターを創設運営。チャンドラカントさんは4歳からシタールを弾き始めるやいなや「神童」と呼ばれ、そんな彼を観たラビシャンカールが8歳になった彼を最年少内弟子にします。シタールとヴェーダを学んだ彼は、その後世界的シタール奏者として世界各地で演奏活動と音楽セラピー活動を展開。90年代より日本に在住していました。インドの技術者は世界中で活躍していて日本にも沢山来ているのに、インドの音楽はあまり知られていないので、芸術鑑賞会で紹介出来たらと考えていたところ、たまたま数学の博士号を持つインド人の奥様と偶然出会ったの。大きな黒い瞳のきれいなプージャさん。日本語ペラペラ~色々お話をして下さり、コンサートに招待してくれました。
初めて聴いた生シタールのコンサート。ぶっとびました!!!シタールとかインドの音楽って、瞑想系というかたゆたうモノだとばかり思っていたMariは、ホンモノのシタール音楽に強烈にノックアウトされ、身体中の毛穴が逆立ち、もうショックに棒立ち!あの数多い金属の弦の上に指を縦横無人に走らせ(痛くないなんて信じられん)、おまけに指には針金で作ったみたいな痛そうな爪?までハメている(後で見せてもらったけどハメているだけで痛くて泣きそうな代物でした)。自由自在に音楽で観客を持ち上げたり宇宙まで飛ばしたり、大海を漂わせたり、激しく揺さぶったり、、、、、そうして演奏しているチャンドラカントさん自身も、ハードロックギタリストよりもパンクギタリストよりも激しくて首がもげちゃうんじゃないかってくらいヘッドバンギング!身体を弾ませたり、お尻を支点に座ったままで上半身がぐるんぐるん起き上がりこぼし的旋回運動を始め、どんどん弧が大きくなっていったり。セクシーに首や身体をくねらせて、黒目もくいっとくいっと動かしてインドのダンサーみたいだったり。と、キャラが目まぐるしく変化していく。シタールってこんなんだったの?!~~かと思うと、にっこりと優し~いお顔になって、うっとりするような音楽を奏でたり、、、変化自在、めくるめく光と虹と音楽の洪水の中で、1時間半があっという間。演奏が終わっても絶句したまま、あうあうと立ち尽くしてしまいました******このブルーの衣装の写真だと、ちょっとその感じが伝わるかしらん?
そしてもう一つぶっとんだのが、シタールという楽器。お客さんがハケた後、チャンドラカントが「Mari,こっちこっち。私の顔の横に耳を持ってきてごらん」と言うので、言われた通りに彼の頬に頬を寄せたら、おもむろに彼がシタールを弾き始めました。ウ”ワァァアァアァン*****未知のサウンドに一瞬意識がなくなり、真っ白になりました。それくらいスゴイ体験でした。シタールは奏者の場所で聴くと、とんでもない音がする楽器のようです。「ここで聴くのが一番気持ちいいかもネ?」とチャンドラカントさんがウィンクしたのを覚えています。お顔が間近だったので、まつ毛長いな~~と思った。子供の時の彼が一瞬見えた気がしました。もしチャンスがあったら、絶対に逃さず、試して下さい!*****後日、お家に招かれ、プージャ奥様手作りのインド料理をごちそうになりながら「学校公演をやりましょう!」と3人で盛り上がりました。「音楽にはとても不思議な力があります。人の精神を高めたり、身体を癒すことも出来ます。神様からの贈り物だからです。」忘れられない言葉です。そして、飾らないお茶目で好奇心旺盛で穏やかな人柄、本当に素敵な笑顔が忘れられません。奥様の作ったインド料理の品々を冗談を交えながらニコニコと教えてくれたのも忘れられません。でも、とてもとても残念なことに、彼との学校公演はとうとう実現しませんでした。
2011年8月15日未明にインド公演ツアーの移動中の不慮の交通事故で神様の元へ旅立たれてしまったのです。インドの新聞にも取り上げられていました。本来ならアーティストは後部座席に座るところなのに、助手席に座っていたのが好奇心旺盛な彼らしい、、、などと、泣きながらどうでもいいことを思ったり、もっとガンガン頑張って何とか1回でも芸術鑑賞会を早く実現させればよかったと悔やみました。1回だけお仕事で2人で新幹線移動した事があって、窓側がお気に入りで景色を見てコメントしたり、道中ずうっといろんなお話してくれた楽しい思い出があります。お酒は演奏前に飲むのはよくないと言うお話もしてくれました。その時、ちょうど車内販売が通りかかり、彼はお姉さんを品よく呼び止めて、ひとさし指を唇にあててしばらく考えてから、缶ビールを指さして買いました。お姉さんから缶ビールを受け取ると、Mariの方を見て「でも、まだ本番まで何時間もある。ちょっとのアルコールはリラックスするから体に良い百薬の長だから、ね?」とニッコリしてウィンクしてみせた。お茶目~~~(^^)彼が私の名前を言う時、Mariの「r」がボングリッシュ風に「MaRrri」と発音されたのが懐かしいです。世界中の多くの友人知人、ファンが彼の死を悼みました。チャンドラカントさんは、音楽のvibrationが人に影響することをシタールを通して教えて下さり、だからこそ自分自身の精神を良いvibrationにチューニングするのが大事だという事を教えて下さった恩人です。音楽だけでなく、何事もそうかな。だから、HEY!WAO!のグループはAASもどれも、そういう考えのメンバーばかりでこれからも組んでいきたい*******長くなってしまいました(>~<)なかなかチャンドラカントさんへの想いを整理出来なかったんだけど、2月のHEY!WAO!写真で世界巡りでタージ・マハールに旅したおかげで、インドの恩人2人をご紹介出来て嬉しいです。誰かに会いたい、何かをしたい、と思ったら、後で後でと後回しにしないで会いに行ったり、やらないと後悔するって思うようになりました。母と大ケンカしても出がけには必ず「ごめんね」って謝るようになりました。(^。^)ウェンシーさん、チャンドラカントさん、ほんとうにありがとうございました!