広島の「?」の思い出=HeyWao=ヘイワオ

遠い昔、「七福神」で一度メジャーデビューして解散した後、フリーでミュージシャン&役者を仕事にしてた頃の思い出です。(TAMTAMでのメジャデビューはこの後♪)。時々思い出すんだけど、特にこの季節には毎年必ず思い出します。当時は珍しかった、歌って踊るハデ系女性パーカッション&コーラス(1曲だけデュオも歌わせて貰ったにゃ)のサポートメンバーとして、田島貴男さんの「オリジナルラブ」というバンドの、初めての全国ホールツアーに仕事参加していた時のことです。

初めての土地、広島に前夜前のりしました。ものすごく昔のことなので、もう話しても問題ないと思うので・・(^v^)ベースのKさんと田島さんの部屋のインタホンを押して、パッと隠れる===なんて他愛のない悪戯をしたりしてたっけ。笑)いろんなことはもう覚えてないんだけど、泊まったホテルが有名な厳島神社も近いと知り、集合時間が午後だったので早起きして見に行きたいと思って、

若い女性マネージャーさんにその旨を伝えたら、「絶対ダメです!ホテル周辺にいてください!」と”<▼c▼>”と怒られてガッカリしたのは覚えてる。あと、寝ようとしても暴走族?による騒音がにぎやかで、なかなか寝られなくて、ホテルの窓から下の道路を何回もそお~っとのぞいたのも覚えてるなぁ~。

旅慣れていなかったので、何もかもが新鮮だったかわりに、旅先でのオフ時間の過ごし方やホテルの上手な活用方法などなどが全くわからなくて、気持ち的にはきょろきょろしてる感じでした。今はかなり慣れたかも?(~。~)朝になって、時間つぶしにちょっとホテルの周りをお散歩しようと出かけ、近くにあった大通りを渡ろうとした時のことです。急に足がすくんで、動けなくなっってしまいました。まだ朝早く、車の通りも人通りもほとんどない、柔らかい空気と明るさの中でした。そっちの方は、緑もあって、お散歩によさそうだから渡ろうって思ってるのに、どうしても体が言う事をきかないって感じで、(なんで~~???)と思いながらも、とうとう道を渡るのをあきらめてホテルに引き返し、反対方向の商店街に向かったんだけど、足がすくんだり、渡りたいのにどうしても渡れなかった理由がわからなくて、ずうっと不思議に思ってました。

こういうことって、たまにあるよね?普段の自分の意識層とは別の、もっと違うところの自分の意識が突然表面にあらわれる感じっていうの?・・・で、そのまま「?」事項として胸にあったんだけど、ある夏の8月に、原爆が投下された日のことや終戦記念日の事の特集をテレビで見ていたら、広島の原爆記念館の取材をやっていたの。その時に、(あっ!!!) と、広島での「?」の思い出と結びつきました。。。

最近、早朝に池上彰さんが戦争のエピソードをシリーズで伝えていたり、戦争体験者の方々の「戦争は絶対にいけない・そのことを語り継いで若い人たちに伝えていきたい」という多くの大事なメッセージが発せられています。今でも、知らなかったことを発見したり、知ることがたくさんあります。信念と説得力を持ってご高齢になってもメッセージを発信し続けている方々の姿に感動します。

そして、自分なりの役割(というにはあまりに微微たる微々微々なものだけど・・でも、どんなに極小でも、全ての存在は唯一無二の世界の一部だから、特別な個性だからもう卑下はしない。)を、続けていこうって、気が引き締まります。

Mariは音楽や芝居など芸術を通じて普遍的なメッセージを、楽しさや感動と一緒にシェアして伝えたいと思ってやってるけれど、こういう風に活動できるのは、平和な時代の日本に生まれ、両親の愛や恵まれた環境で育ってるからだと、この歳になって、つくづく思うようになりました。そんな恵まれた今回の人生を貰ってるんだから、人類に生まれてきてるんだから、世界の一部として、やりたいこと・やれることは、きっと、やり続けるぞ~って、改めて思うこの頃です。(⋈◍>◡<◍)。✧♡

なんだか、珍しくこんな話を最後まで書いちゃった(@。@)こういう話をBlogに書くのは苦手なので、途中でやめたり、あまり書かないんだけど、、、真夏の太陽の光のせいかな?な~~んて(>v<)やっぱり音楽や作品で伝えるほうが自分には向いてるみたいです♡