🎵音大時代、一番大変だったティンパニ1人運びの思い出😚

来週の小学校のアフリカンオールスターズ芸術鑑賞会コンサートで、ちょっとおっとっとなハプニングが発生しましたなり~。🏫明るくてきれいな体育館が2階にある学校なんだけど(学校のHPで体育館での行事の写真を見たら、とても明るくてきれいでした)、学校公演あるあるで、エレベーターがある学校は実は少数派であまりないんです。(なんでだろう???)なので、機材や楽器の搬入は階段になりマッスル。もちろん、そういう情報は事前にわかっているので問題ないんだけど、今回は搬入人員が急遽少なくなったのでありマッスル。

なので!今回は、Mariが昔とった杵柄でサポート頑張ることになりました💪💪💪😎🌟🌟🌟昔とった杵柄って何かっていうと・・・・芸大打楽器科に入学した時は「新入生4人中、3人が女子なんて初めて!?」と驚かれ、「楽器運びとか無理なんじゃないか?」等々色々と言われたので、勝手に燃えて🔥ムキになって「男子と同じように力仕事もこなしてやるぜ💪💪😎」と楽器運びも率先してやってました。(ノ´∀`*) アオハルですにゃ~🐯✨当時、芸大の音楽学部の門を入った一番奥に、いまや重要文化財となった「旧東京音楽学校奏楽堂」(クリックすると公式サイトにとべるから写真等みてね?💖)がありました。そこで、オーケストラのリハや本番がある日は、奏楽堂にティンパニを運ばなくてはならないのでありマッスル。

真新しい校舎の地下1階にある打楽器科フロアから校舎1階まではエレベーターで楽ちんに運べるんだけど、奏楽堂の入り口からは狭い階段をえっちらおっちらと、重たいティンパニを1人で運びあげるわけなんですニャ~~~😺💦💦💦階段も年代物で古くて狭いし、ティンパニは1人で階段を持ち運びするのは、なかなか大変な楽器。この楽器は下部に音程を調整するペダルがあり重心が低いのと打面の口径が大きいので持ちにくいんです~\(◎o◎)/でも、女子だから出来ないなんて絶対イヤだったので、ヒーコラ💦ヘーコラ💦何とか運んでいました。(何回も運んでいるうちにだんだんコツがわかってきて、大分楽になったよん)。あれが、楽器運びの思い出で一番たいへんだった思い出だなぁ~👩👍💖でも運べた時の達成感はハンパなかったですニャ✨✨😻✨✨久しぶりに思い出して懐かしいです。ご存知のようにティンパニは最低でも2台は使うから、これを2往復。曲によっては3台4台。ウハハハヾ(≧▽≦)ノでも同級生の女子も、先輩の女子も(=学年3~4名中女子は1人)同じ気持ちで、みんな重たい楽器でも男子なみにバンバン運んでいて、それが打楽器科女子の心意気って感じでしたニャン🐯イエイ!

社会人になって色々ムリがたたってギックリ腰を何度も経験した後は、うっかりノリや気合で運ぶと必ず後で仕事に差し支えるので、あまり重たいモノを運ぶのは自重するようになりました。(●´ω`●)👏が!ギックリ腰に関する知識も増えたので、明日明後日、ちょっとお高めのガッツリサポーターを探して、予防に買おうと思っていマッスル。ご参考までにMariが整体の先生に教わった基本的対策としては➡えーと、<👌まず寝不足にならないようしっかり寝る。✋ストレッチで筋肉をよくほぐしておく。💪💪😎持ち運ぶ時は常に腹筋に力を入れる。🦍持ち上げる時は膝を曲げて腰を入れて身体全体で持ち上げる。🍧万が一痛くなったらアイシング👍。。。。そして、🛀帰宅したらストレッチとお風呂で筋肉をしっかりほぐす。出来れば、整体やマッサージでしっかりアフターケア。>こんな感じかな?

🎵🎵🎵公式サイトから引用した旧奏楽堂の歴史は以下で~す。➡「本館は、東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建築され、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきました。2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。創建から80年近く経過した昭和40年代(1965~)に入ると、建物の老朽化が目立つようになり、校舎を都外へ移設する構想が持ち上がりますが、昭和58年(1983)に台東区が東京藝術大学から譲り受けることとなりました。そして、昭和62年(1987)に現在の地へ校舎を移築・復原し、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般への公開を開始しました。さらに、昭和63年(1988)には、日本最古の洋式音楽ホールを擁する校舎として、重要文化財の指定を受けました。
以来、旧東京音楽学校奏楽堂は、「生きた文化財」として、建物の公開のほか、演奏会や音楽資料の展示を行ってきました。平成25年(2013)4月より保存活用工事のため休館していましたが、平成30年(2018)11月にリニューアルオープンいたしました。